子どもをゲームで叱るのではなく譲歩型にしてみては?

子どもをゲームで叱るのではなく譲歩型にしてみては?

小さいころゲームをしたことがありますか?

もちろんこの問いかけにはほとんどの私を含めた社会人がイエスと答えることでしょう。

小さいころにはすでにゲームがあった

今現在、大人(社会人)のあなたはゲームをしていますか?

この問いかけではどうでしょうか?

半分・いやどれくらいなんでしょうね。

私は子どものころの趣味と言えばゲームであったと思います。

他にもありましたが、ファミコンが発売された影響をもろに受けた世代ですので、家庭用ゲーム機の猛烈なブームの中成長してきました。

いろんな代表的ソフトが生まれてきたんです。

ファミコンが世に発売されて、子どものころ買ってもらえる年代と言えばもう40近い世代です。

あれから時は流れて社会人になってからどうもゲームから離れてきました。

仕事を持っていると時間的余裕もなくなってきます。

そして夢とか冒険とかのこともどこかへ忘れてきたのではないでしょうか。

ゲームの世界って仮想現実でした。

いろんなゲームがあるのだけど、冒険RPGとか趣味レーションとか、アクションとかどれもヒーローがバッタバッタと敵を制することが目的であったり、町や領土を征服して富を得たり。

自己実現をゲームの中で獲得することが目的のものです。

そういったものを求めて、といういかそういったジャンルのものに興味をいだいて虜になっていた、夢中になっていた時代がありました。

そういったゲーム世代で育った私ですが、ある時を気にゲームをすることをやめてしまいましたね。

それはきっかけがあったと思います。

私の場合、社会人いなったことでした。

社会人いなるとは、一つの自己実現です。

自己実現の達成であります。

疑問

それで自己実現は完成し、終了したのか?

答えはNoです。

多くの方もそうでしょう。

社会人になることは達成しなければならない道であって、一つの通過点プロセスです。

夢も冒険も終わっていない、冒険でいえば途中の街にすぎません。

でもそれは人によって大きさも難易度も違ったはずですよね。

社会人になるための壁が中ボスといったところでしょう。

それが人によってはクッパかもしれませんし、りゅうおうかもしれません。

あるいは、ピッコロだったり、はぐれメタルであったり、もしくは自分自身であたのかもしれません。

その壁を乗り越えたとき、大きな経験値を得た人も、自分を理解できた人も、目の前から敵と思っていた人物が激減したかもしれません。

それは受験戦争に通過して得たものでもあれば、新しい味方を得て獲得したものであったり。

ドラクエ友達

試練やその先で獲得したものがあって、自分自身がレベルアップして。

そしてその時再スタートを切っているわけですよね。

そうやって生きてきたわけです。

社会人となりゲームをやめた

先ほど人生の壁をゲームなどの敵キャラに例えてお話ししましたが、就職や受験など人生一度は通らなくてはいけない壁があって、それは必然であったのです。

難易度は自分で決めてきた、あるいは親に決められた場合もあるでしょうが、逃れられないゲームが人生そのものなんですよね。

そうやって今少し振り返って考えていました。

なんでこんな話を今するのかと言うと、いろいろ関連付けて人生と何かを考えてみると面白いもんだなと思ったのです。

その例がゲームであってもです。

人生に影響を与えたものを片っ端から考えていくと、自分と言うものが見えてくるかもしれません。

親や兄弟とか、過去の恋人とか友達とか、昔の失敗であったり、後悔したこと嬉しかったこと。

変えられない自分の属性だったり。

それは男であること、とか年齢や世代とかね。

まあ、そういった属性ですら今の時代は、性転換であったり、アンチエイジングとかもっと言えば、再生する細胞とかね!

そういったものも変えられるかもって思うことが、思考上は可能です。

私は性別も年齢も今は変えたいとは思いませんが、ゲーム脳っていい意味では使われませんが、少なくとも現代人ってゲームで自己実現を目指したりしたように、自分も現実社会でも頑張りたいってきっかけくらいになっているんじゃないかなって思いました。

まあ、バイオレンス過ぎるものやそういった類のものに悪い影響を受けるんじゃないかって、自分の子どもにもしさせるんだったらって、親になったら思っちゃいますけどね。

今の教育で、子どもにゲームをさせるなという考え方を改めるという議論もなされることも見かけるようになりました。

少なくとも私の子ども時代はどっぷりとゲーム漬けでしたから、どの顔して子どもをしかるねんって思います。

同世代の親の方どうですか!?

自分がゲームやりまくっていた過去があったら子どもにゲーム本心で注意できますか?

子どもにゲームを注意するなら譲歩型で

やっぱりゲーム世代の私には子どもにゲームを一概にやめろとか言えませんよね。

ならばどうするべきか。

今はまだ子どもは小さいのでゲームをする年ではありません。

物心ついたら親として善悪を教えなくてはいけませんし、それが親の務めです。

「勉強をしたら1時間ゲームを一緒にしようか」

うん、こういった声かけをしていきたいなって思いました。

いつかゲームに目ざめたらですが。

いや絶対に目覚めますよ。今の子どもですから。

しっかり遊んで、勉強もある程度できてが理想ですよね。

その中にゲームだって遊びであるので、否定することはいけないと思います。ゲームとの付き合い方が重要ではないでしょうか。

大人になってもゲームをする余裕が欲しいですね。

子どもが大きくなったら一緒になってやってあげれるくらいの知識は欲しいです。

子どもだってゲームでは自己実現できないこと、だからこそ現実社会でこそ頑張るんだっていつかは気づいてくれることでしょう。

kaizokuoh

ワンピース名言より

それまで一緒になってワクワクしててもいいんじゃないでしょうか。

大人がワクワクできるゲームってなんだろな。

いっぱいあると思います。

ちょっとゲームでもやってみようかな。

冒険心とか夢とか取り戻せる心を、子どもとなら1日のうち1時間だけでも作ってもいいかもしれないなと、久々にゲームについて考えた、そんなお話でした。


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